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「宣言」ラングストンヒューズ

あなたは 詩のどんなところが好きなの?

画家の廣中薫さんに尋ねられ、うまく言葉にできなかったので

悶々とあれこれ自分に向き合うきっかけになった。

詩とひとくくりにしても 様々。自分の好きな詩人のスタイルもさまざま。人間の顔のように。

「宣言」という詩がある。ラングストン・ヒューズというアメリカの詩人が書いたものだ。

公民権運動真っ盛りのアメリカにいて この詩人は言葉で社会と戦っていた。血をにじませながら。

 

僕が海に泳ぐ アシカだったらね

中国まで泳いで行って それで 君はもう 僕に会えないね。

そう、全然もう、会えないね。

僕が金持ちの子だったらね

自分用に車を1台買うよ

ガソリンいっぱい詰め込んで

そんで乗ってっちゃうよ ずっとずっと遠くまで。

つれなく愛しなんかしなくてさ

つれなく誠なんか持たなくてさ

僕が鳥だったら

君から離れてとんでゆくね

そう、ずっとずっと遠くまで

 

ここにいる僕は1902~1967アメリカという国で生きる黒人としての僕。

君はアメリカという国で生きる黒人や有色人種を差別する社会やそこに生きる人々

中国というのは 当時のアメリカからみた 辺境の土地

だけれどもここは中国そのものではなく 君が追いつきはしない高い境地へ僕は行く

誰が何を言おうと。差別のない世の中へ向かうんだ。

それで 君はもう僕に会えないね

だから 人が人を差別する世界に住んでいる君は僕にはもう会えないね、もう全然会えないんだよね。

という高らかな 「宣言」なのだ。

 

と勝手に解釈している。違っているかもしれない。

でも詩は読んだ人の自由に解釈していい。

これを翻訳して日本に広めてくださった詩人で作家の故 木島始さん。20年位前に歌にしたいとお願いしたら

快くお返事くださった。

私にはこの詩をできるだけたくさんの人に耳に触れてもらうというお役目があると思っている。

聞いただけでは、この詩の背景はほとんどの人がイメージできないだろうけど。

差別は反対!やめよう!とスローガンを掲げるより もっと深くて強いメッセージを人に与えることができる。

それが彼の詩の魅力だと思う。

今のアメリカはどうだ?公民権運動の時代を彷彿とさせる 人と人がいがみ合うシーンが報道されない日はない。差別のないアメリカ では今やないのだ。残念なことに。移民を排除する国。になってしまった。

じゃ、わたしはなぜ僕として言葉を操る彼が好きなのか?

彼の視線が常に弱者にあり、私もその一員であり そこに温かい人間愛を感じるのだ。とても温かい他者への目線。

それだけではない、言葉を扱う芸術家として尊敬しているというか崇拝していると言ってもいい。

だから 明日も「宣言」を歌い続ける。