ayacollette

前衛popの名付け親 前衛血球 副島輝人さん 

音楽評論家 7/12 副島輝人さんが逝去された 83歳

ayacollette live!!というアヤコレットの初アルバムを気に入ってライナーを寄せてくださったことからご縁がありドイツの音楽祭などにも何度か連れて行っていただいた。
お宅にも呼んでいただき 膨大な数のレコードからこれはきっと聴いたことないでしょう・・
こういう飲みのときにあうんだ。と・・メシも喉通らないほど恐ろしい緊張感のフリージャズが出てくるのかとおもいきや南里文雄さんの穏やかなトランペットのアルバムがでてきて拍子抜けするやら・・演歌も聴くよ 普段はね。
とかいいながら奥さんが用意してくれた豪華な海鮮鍋をつつきながら 自慢の手料理をふるってくれた。これ、意外といけるのよ、と もやしと桜海老をカレー味で炒めた簡単自慢料理を作ってくれたことを思い出す。

副島さんがアヤコレットの音楽は印象派のモネの絵のようだね。
なんだかもやっとしたところが魅力なんだな。
僕なりに前衛popって名づけよう。って思うんだけどいいかい?って言い出してくれたおかげで今ではプロフィールの最初の常套句のようになっているが
そもそもの始まりは副島さんの一言だった。

彼がこんなにも潔い言葉を残して逝ってしまった。

こんなかっこいい生き方 そうできるもんじゃない。

副島輝人さん 大好きでした。
お会いできたことに感謝。何よりもその生き方、
揺るがない信念を持った真っ当な生き方に私も恥じないように
今後の人生の指針にしたいとおもいます。ありがとうございました。 アヤコレット

副島輝人さん
辞世の文

引っ越しをすることになった。諸々の事情があって、あまり人には話していなかったが、もう間もなくのことになるだろう。移転先は決まっている。京都府・宇治市。JR奈良線の快速では、京都から18分、奈良からは30分のところ。宇治駅前からタクシーに乗り、清流宇治川を左手に見ながら、それを遡るように山に入って10分程、なだらかな緑の丘があってそこが天が瀬の公園である。J 区 92番地と云えば、門を守る人が案内してくれるだろう。

 とても小さな家だ。究極の美意識を持った千利休があらゆる無駄を削ぎ落として創った茶室に倣った訳でもないが、極小空間である。この狭い畳敷きの部屋に幅4尺高さ5段の本棚を1基据えて、オーディオアンプと小型スピーカー、諸プレイヤーとモニターがあればそれで十分。それに読み書きするのに小机一卓。後は私と(後始末の為に少し遅れて来る) 女房の布団2枚並べて敷けば、もう余地はない。

 本棚の下2段には、LP, CD, テープ等の諸音源類をいれる。恐らく三分の二はジャズであって、他にクラシック、現代音楽、邦楽、演歌等などだろうけれど、詳細は目下考慮中。上の三段を占めるだろう書籍の選択にも苦労している。一段40冊としてざっと120冊なら、現在の我が家にあるものの八分の一程度。捨てるには惜しいものばかりだ。しかし、厳選してみる。その鍵は、再読、再再読にも新たな対応をしてくれる書籍ということだ。

 とりあえずは好きな作家から。福永武彦の「海市」他1~2冊、中上健次「異族」「軽蔑」、井上靖「本覚坊遺文」、高橋和己「邪宗門」、澁澤龍彦「高丘親王航海記」、塚本邦雄「幻想紀行」「連弾」「世紀末伝書」、吉岡実「サフラン摘み」、吉増剛造は何を選ぼうか。「宇治拾遺物語」と「源氏物語・宇治十帖」はもちろんのこと、それに自著3冊等など。更には前回Facebookに記した「私の批評家たち」に挙げた評論集の他に、牧野和春の優れたエッセー「櫻の精神史」、久保田展弘の「山岳霊場巡礼」、海野弘の見事な都市論「ペテルブルグ浮上」なども、置いては行けない。

 海外ものとしては、グレアム・グリーン「事件の核心」、レイ・ブラッドベー「火星年代記」、ウィリアム・フォークナー「野生の棕櫚」「響きと怒り」「八月の光」、E・T・A・ホフマンの「黄金の壷」、それにどうしてもアラン・ロブグリエ「消しゴム」、ミッシェル・ビュトール「心がわり」「時間割」、ナタリー・サロート「プラネタリウム」などフランスのアンチロマン派のものが多くなってしまう。詩人としては、ディラン・トーマス、E・E・カミングス辺りが好きなのだ。これに現代美術の画集、写真集を加える。

 これらの本を読み返す読書三昧なら結構楽しいだろう。活字に読み疲れたら、当地宇治茶の老舗中村藤吉で仕入れた抹茶を日に二、三服、私の好きな黒楽の茶碗で点てながらフリージャズを聴く。食事は基本的には粗食とするが、時には宇治川での鵜飼いで採れた鮎、京都特有の鱧料理、秋の味覚松茸、更には近江牛のヒレステーキともなれば、取って置きの高級焼酎「森伊蔵」の蓋を開けてチビチビと舐めながらの晩飯となる。
 これは妄想なのか、現実なのか。

 ならば此処に、葛飾北斎の辞世の句に習って書いておこう。
 「人魂で行く気散じは奈良京都」と。